死ぬ前に後悔するのは、…

夢を持ち続けている限り、
それはかなう可能性があるということだ。
諦めてしまえば、可能性はゼロである。
けれども諦めなければ、
可能性はゼロにはならないのである。

考えてみると、死ぬ前に後悔するのは、
夢がかなわなかったこと、
かなえられなかったこと、
そのものよりも、
むしろ夢をかなえるために
全力を尽くせなかったことに
あるのかもしれない。

(死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた、大津秀一)

あきらめないことで
夢を手にすることもあれば、

あきらめの悪いことが、
とんでもない痛手になることもある。

ここの判断は難しい時代です。

好きな人をあきらめきれず、
つきまとえば、
ストーカーと呼ばれる。

一方、あきらめないで、
いくらかつきまとって、
(ストーカー行為とほぼ同じ…)
恋が実ることもなくもない。

あきらめないことというのは、
きっと、誰かに迷惑を
かけることなんだと思います。
多かれ少なかれ…

そして、その迷惑をかけたことについては、
後で、自分が責任をとらなくちゃいけない。
どういう責任の取り方を
させられるかはよく分からないから、
そういうことも覚悟の上で、
あきらめないことを貫く必要がある。

そう考えると、
あきらめることも、
あきらめないことも、
それほど違いはないような気がする。

全力を注いであきらめるか、
全力を注いであきらめないか。

今日は、そんな生き方をしてみよう。

(参考)死ぬときに後悔すること25―1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた(大津秀一)

No.3270


道は開ける(ディール・カーネギー)

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