そもそも人に
「本当の自分」なんてないとすれば
今ここにこうしてあるその人が
「本当の自分」そのものであって、
病的なものも含めて
その人自身ってことになる。
病気も個性なのだ。
(ビッチマグネット、舞城王太郎)
今ここにいる自分が、
本当の自分だというのに、
自分の外に、
本当の自分を探したくなる。
でも、探しても、
見つからない。
だからってことで、
自分の個性でないものを、
自分の個性と思い込んで、
当てはめたくなったりする人もいる。
だいたい、なにかズレてくる…
なにか見落としたり、
忘れてきたりもする。
自分って、
なんか病的かな、
って思うところが、
意外と、個性だったりする。
でも、病的だと思う分、
それを遠ざけたいと思うことの方が
多かったりもする。
病的=異常、
っていうのが、
世の中の常識ってことに
とらわれているから。
でも、本当は、
病的=異常なんかじゃない。
みんなみんなに、
見える見えないを含めて、
病的なものがあるとしたら、
それは、単なる個性。
だから、
病的なものをうまく隠せる=正常、
病的なものを見せてしまう=異常
(あるいは面白い、変わっている)
みたいに思われているだけなんだ、と思う。
そう考えてみれば、
わたし自身の病的なところも、
気軽に思い起こせる。
本当の自分、大歓迎といきたい。
(参考)ビッチマグネット(舞城王太郎)
No.3403