サヨナラには色々なものがある。
哀しいサヨナラもあろうし、
ときにはありがたくて
せいせいするサヨナラもあろう。
盛大な送別の宴にて
賑やかなサヨナラする者もあれば、
誰に見送られることもなく
一人でサヨナラする者もある。
長いサヨナラがあり、
短いサヨナラがある。
いったんサヨナラした者が、
照れくさそうにひょっこり
帰ってくるのはよくあることだ。
そうかと思えば、
短いサヨナラのように見せかけて、
なかなか帰ってこぬ者もある。
そして、二度と戻ってこない、
生涯にただ一度の本当のサヨナラもある。
(有頂天家族、森見登美彦)
別れ、というのは、
一つの解放だと思います。
別れの瞬間には、
寂しい思いを感じたとしても、
時間が経ってくると、
その解放感がじわじわと出てきて、
ちょっと、せいせいとしてくる
ということも少なくない。
反対に、別れの瞬間には、
やったーという解放感に満たされたものの、
時間が経ってきて、
寂しさがじわじわと来ることもある。
いずれにしろ、サヨナラは、
哀しいことばかりじゃない。
長い目で見れば、
ちょっとしたイベントにすぎない、
と思える時が来ることが多いのだ。
ずーっと忘れられないサヨナラ、
ばかりを増やしていたら、
きっと、心がもたない。
そういうふうに考えれば、
新しい出会いをしたい時には、
何かにサヨナラした方がいい、
ってことかもしれない。
(参考)有頂天家族(森見登美彦)
No.3508