強くなりたいと
常に願うのは
弱い証拠である。
勝つのみが強きにあらず。
時には、負けることが強いのである。
強いて勝たんとする心、
それは弱きがためである。
(蜂屋賢喜代)
負けを認めるのは、
とても苦しい時があります。
負けを受け入れてしまうと、
自分の何もかもが、
もうダメなんだ、
と落ち込んでしまうことが。
何もかも勝つことができないのは、
分かっている。
けれども、
一生懸命に力を注いで
がんばったことくらいは、
絶対に勝ちたい。
そうは思っていても、
もっとがんばった人、
もっといい環境で鍛えられた人が、
必ず、どこかにいて、
勝てないことも少なくない。
そこで、
他人の努力を認められれば、
本当に強くなれるけれど、
不正を働いてでも
勝ちたいと思うようになる人も、
いたりする。
そっちの方向に走ると、
ますます、人間として弱くなる。
こだわり、
とらわれから、
逃げられない人間は、
そこに落とし穴が生まれる。
知らず知らずのうちに、
だまされたりもするのも、
そういうところが多い。
勝ちと負け。
どちらが人間に価値があるか、
それはよく分からない。
No.3609