それが遠回りだったとも、時間を無駄にしたとも…

それが遠回りだったとも、
時間を無駄にしたとも
思っていません。

それらはすべて、
自分という人間を見つめ、
自分がほんとうに
やりたいことを知るために
必要な経験だったと
いっていいでしょう。

(THE21、小暮真久)

遠回りは嫌いです。
無駄なことを
させられるのは、
もっと嫌いかもしれない。

けれど、
不思議なことに、
そう思いながらも、
自分のやっていることには、

遠回りと無駄が、
いっぱいなんです。

いくらがんばっても、
その遠回りと無駄が
なくなることはないんです。

ちょっとは少なくなることはあっても、
ずーっと、それと付き合わなくちゃ
いけない。

きっと、人生に、
何が起こるか分からないように
なっているから、

誰にでも、平等に、
遠回りな経験とか、
無駄な経験があるのでしょう。

そのうち、
自分で納得した、
遠回りと無駄だけは、
ガマンできるとなったら、
少しは成長したことだと感じ始める。

世の中に、
遠回りも無駄もない人生なんてない。
そして、
意味のない「遠回り」も「無駄」もない。
そう思います。

(参考)「想い」と「頭脳」で稼ぐ(小暮真久)

No.3666


道は開ける(ディール・カーネギー)

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