疑う人は、どのようにやっても…

疑う人は、
どのようにやっても疑います。

(プラチナデータ、東野圭吾)

おまえのことは、
もう信じない。

そういう言葉を
どんなに言い捨てても、
ウソをつく相手が、
こちらから信用を得たいわけでなく、

ただ困らせたいとか、
問題を起こしたいとか
思っているときには、
何の効果もありません。

ウソをつく人は、
ウソをつくのです。

反対に、
どれだけ信じてもらおう、
とがんばってみても、

相手が、
ちょっとでも
期待どおりのことが
起きなかったり、
機嫌が悪かったりするだけで、

絶対に信じないよ、
という言葉を吐く人であれば、
その人に信じてもらうために
何かをがんばることは
ムダかもしれない。

信じる、というのは、
やっぱり才能だと思うのです。

それほどの証拠がなくても、
すんなり信じられる人もいれば、

かなりの証拠を並べても、
信じない人もいる。

本当に確かなことが
分かった段階になっても、
「自分はだまされているんじゃないか」
という、新たな疑いをもつ人もいる。

どうやっても信じない人に、
付き合うのは、
時間のムダかもしれません。

仮に、信じないことによって、
自分が不利益を被ったとしても、
きっと、誰かのせいにするから。

人は信じたいものを信じ、
疑いたいものを疑う。
それだけのルールなのでしょう。

(参考)プラチナデータ(東野圭吾)

No.3974


こころの処方箋(河合 隼雄)

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