絶望すると「自分」が見える…

どういうワケか
絶望すると「自分」が見える
絶望すると
もう やりようがなくて
行き場がなくて
見栄もなくなって…
それでも ちゃあんと生きている

余分なものが全部なくなって
残ったものをふと見ると
それが裸の「自分」

(愛のシッタカブッタ、小泉吉宏)

失って、失って、
もう何も失うものがなくなると、
とたんに、自分が見えてくる。

そして、分かるのは、
失ったら生きていけない
と思っていたことが、
大きな勘違いだったということ。

絶望までしてみると、
人は大切なこと、
いろんなものを失っても、
人は生きていけるんだ、
と気づけるんですね。

そういうことを考えると、
普段の自分は、
どれだけの鎧を、
知らず知らずのうちに
身につけているんだろう
って思います。

それは、きっと、
絶望を感じるまでは、
当たり前のように
見えるもの、見えないもの、
いろんなものを集めることばかりに
気が向いているからでしょう。

余計なものを
どんどん集めている。

そして、面白いのは、
集めても集めても、
不安がおさまらないから、
ますます集めてしまう。

集めた人が思うことは、
だいたい決まっている。
その集めたものを失いたくない、
っていうことです。

その悪循環に陥る前に、
「裸」の自分が見える位置に
立っていたいものです。

(参考)愛のシッタカブッタ(小泉吉宏)

No.3983


「原因」と「結果」の法則(ジェームズ・アレン)

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