幸福であるということ…

人間は自分が
幸福であるということを
知らないから不幸なのである

(ドストエフスキー)

幸福であることを知らないで、
幸福を求めていると、
ずーっと遠くばかり
見てしまいがちになる。

そこに、
自分を幸せにしてくれるものが
何かあるかのように…

けれども、だいたいは、
探せども探せども、
見つからない気分が続くので、
もっともっとと、
ますます遠くを探してしまう。

そんなときは、
ふと身近にある幸福に
気づけるチャンスも
あったりするんですけど、

どうしても、
近くにある幸福で
満足したくないっていう気分も
働いたりするから、
つかみ損ねてしまうことも多くなる。

きっと、幸せの定義から
変えていかないといけないでしょうね。

他人より上の幸福とか、
うらやましがられる幸福とか、
そういう定義じゃなくて、

日常のささいなことの中に、
幸福は、ちゃんと眠って、
見つけられるのを待っている。

そんなふうに、
自分で言ってしまうと、
わたし自身ですら、
見逃している幸福が
たくさんあるような気がしてきます。

幸福であることを知らない。
ホントに、そうだろうなぁ…

(参考)Happy名語録(ひすいこたろう)

No.3999

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