誰の応援も要らないなんて…

誰の応援も要らないなんて
思ってるみんなも、
誰かを応援するなんて
カッコ悪いと思ってるみんなも…

ほんとは、いまだって、
いままでだって、いつだって、
誰かに応援されてるんだ、
誰かを応援してるんだ…
応援して、応援されて…
そうやって、みんなは生きてるんだ。

(あすなろ三三七拍子、重松清)

子どもには、きっと、
自分のがんばっている姿を
見せたい、応援してもらいたい、
という時期がある。

けれども、
子ども自身がちょっとずつ
成長していくときに、
親の応援する姿には
そんな進歩はないだろうから、
だんだん応援されるのが
恥ずかしくなってくる。

だから、
「応援に来ないで」とか
「目立たないように応援して」とか、
そんな憎らしいことを
言うようにもなる。

まわりの目を気にして、
のことだろう。
もし、そんな目がなければ、
応援されるのに抵抗のない子どもも
いるんじゃないだろうか。

ただ、
応援してほしいときに、
いっしょにいてくれなかった親、
応援してくれなかった親に対しては、
子どもの期待も、
急速にダウンするに違いない。

応援されない時はがんばらない。
応援されてる時はがんばる。
みたいに、応援に依存しすぎるのも、
ちょっと困りますが、

誰にも応援されていない、
と思い込む前に、人は、
いろんな人から支えられていることを
思い出してみる心が必要な気がします。
そうすれば、自分のがんばってることに
まだまだ捨てたもんじゃない、
って思えてくるでしょうから。

(参考)あすなろ三三七拍子(重松清)

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