誰にも理解されない絵…

この世には、
おのれと同じ人間はいない、…
人はみな、
誰にも理解されない絵を、
心のなかに持っているのではないか。

(樅ノ木は残った、山本周五郎)

なんだか、
分かってもらえないなぁ、
という気持ちは、

生きている限り、
誰しもが感じること
じゃないかと思います。

たぶん、
分かってもらえないから、
反対に、
分かってあげられないから、

それを
分かってもらおう、
分かってあげよう、
みたいに努力なり工夫する、
という試みが、

人生のなかにあることで、
豊かになるんじゃないかと
考えます。

ちなみに、今のわたしは、もっぱら、
小5三女の理解に悪戦苦闘してます。

何もかも
分かっていて、また、
分かってもらえる環境は、
必ずしもいいとは
言えないかもしれない。

それが出来たら、世の中、
ほとんど苦労ないでしょ。

みんながみんな、
完璧に近い存在で、
それこそ、
努力も工夫も
必要なくなる。

人は、言えないこと、
表せない何かを抱えて、
それを分かってくれる人を探しながら、
生きている。

反対に、
分かってもらえることだけに
期待しないで、自分でも、
分かってあげられる人を探して、
生きている。

そういうことだと思います。

(参考)樅ノ木は残った(山本周五郎)

No.4442


置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です