生きるというのは、…

生きるというのは、
いつも宙ぶらりんなのだ。
いつだって
宙ぶらりんの状態だから、
なにごとか勃発すれば
あたふたおたおた、
そこをなけなしの
経験やら知恵やら動員して
どうにか波間を渡ってゆくのが
人生というものだろう。

あわてず騒がずスイスイ
泳いでゆく人生の達人など
というものはどこにもいないのだ。
いなくて、いい。

(野蛮な読書 平松 洋子)

人生、あたふたしながら、
いろんなところに
ぶつかりもしながら、
オモシロおかしく生きている。

どこにも
ぶつかることがないなら、
スルーっと生きていかれるけれど、
きっと、自分がどう生きているか、
ってことも感じないかもしれない。

物事を気にしなくなった、
という一つの状況があるとき、

それは、
気にするくらいのレベル
じゃなくなった、
という場合と、

油断をして
気にしなくなった、
という場合があると思う。

何ごとも、
気にしなくていいレベルの
ことばかりならいいけれど、
そんなことばかりじゃない。

ああ、油断しちゃってた…

という事態が起こる場合は、
けっこう多い。

クリスマス、年末年始のムードに、
油断していた私は、昨日、
そんな目に遭った。

でも、
スマートに生きている
ように見える人でも、
中身は、それほど
変わりないかもしれない。

そう願いながら、なぐさめを得て、
今日も、がんばるべ。

(参考)野蛮な読書(平松洋子)

No.4532


こころの処方箋(河合 隼雄)

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