今はまだ自分が何を
求めているのかわからなくても、
五十年後には何もかも
歴然としているかもしれない。…
最後に笑うのは最後まで
生きて求め続けた人間なのだ。
(異国のおじさんを伴う、森絵都)
昨日は、
チョコレートを食べている人を見て、
自分も食べたいと思い、
今日は、
新しい車のCMを見て、
それが欲しいと思い、
明日は、
おしゃれな服を見つけて
どうしても買いたくなる。
稼ぎのいい仕事、
あこがれのマイホーム、
かわいい彼女、
かっこいい彼氏、
経済力のある伴侶、
それが何であっても、
欲しくなるものに、
キリはない。
欲しくなるものが
次々と変わったり、
どれだけ欲しいと思っても
なかなか手に入らなかったりする自分を見て、
人は、考えるようになる。
自分が何を求めているのか、
分かっていないで、
求めているんじゃないか…とか。
ただただ、
誰かと比べてガッカリしたり、
あこがれているだけで、
いつまでも、
フラフラしているんじゃないか…とか。
時間が経つほど、
そういう自分の姿が
明らかになってくるから、
さらに焦ったりもする。
時間が経たないと分からない。
それは、目標への意欲や行動力に、
だんだん「限り」が見えてくるから、
だと思う。
「なんでも出来る」
という勘違い(?)があるうちは、
コロコロ変わる自分に、
それほど違和感は感じない。
けれど「限界」が見えてくると初めて、
ホントウに欲しいものを求めたほうがいい、
と思い始める。
どれだけ遅くなっても、
それが見えるようになったら、
まだ幸せだと思う。
(参考)異国のおじさんを伴う(森絵都)
No.4533