だれかと時を過ごせば、…

だれかと時を過ごせば、
自分の人生の一部を
相手に与えると同時に、
相手の人生の一部を
もらっていることになる。

(カッシアの物語、アリー・コンディ)

時間には、
思いが込められている、
と思います。

何かをする時間、
その何かをしない時間、

何かを考える時間、
別のことを考える時間、

誰かといっしょの時間、
ひとりでいる時間。

それぞれに、
思いが入っています。

たとえ、
それに「義理」の感情が
入っていたとしても、

その義理のために、
時間をあてたということは、
それなりの思いが
入っていることに変わりありません。

そして、
時間をあてるというのは、
人生の一部をその思いに
投資すること、あるいは、
差し出したり、贈ったりすること。

そういうことを考えれば、
逆に、自分のために
時間をとってくれる人からも、

同じように、
人生の一部を預けられている
ような気持ちになってきます。

こういう気持ちが大切だと思います。

何かを頼んだり、
何かをともにすることは、
相手の時間を使うことだから、

仕事だろうと、
そうじゃなかろうと、
大切に扱ったほうが、
自分にとっても相手にとっても、
望ましいことのはずなのです。

また、その際には、
長い目で見られないと、
得られるものも見い出せないでしょう。

(参考)カッシアの物語(アリー・コンディ)

No.4550


常識にとらわれない100の講義(森博嗣)

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