誰かが称賛されているところに
立ち会えるなんて、
それだけで特別じゃないか。
たとえその誰かが見知らぬ人であろうと、
自分が称賛される側になることは
一生ないとよく分かってはいても、
拍手を送っているだけで
運に恵まれるような気持ちになれる。
(最果てアーケード、小川洋子)
自分が得意としていることで、
他人がほめられている場面を見るのは、
ちょっと微妙な気持ちかもしれない。
私のように、
勝ち気な人間は、特にそうだ。
本当は、
他人がほめられていても、
自分がほめられる分が
減るわけじゃないのだから、
その感情は、
少しズレているのだが、
本人は気づかない。
気づけない。
他人がほめられていること、
他人が成功したことを、
心から喜ぶというのは、
人によっては難しい。
それは、きっと、
自分の存在感を高める気持ちよりも、
自分の役割を知っていることの
大切さなのだろう。
本著には、こんな言葉もあった。
「選手の首に掛かった途端、
メダルが生き生き見えてくるから不思議だ。
ようやく魂が吹き込まれるんだ。
でも決して、メダルが選手より目立つことはない。
一番光っているのはもちろん勝者だ。
そのことをメダルはちゃんと心得てる。
自分は、この人が勝者ですと指し示すための、
小さな印に過ぎないとね。」
自分ばかりが輝くことばかり考えず、
その時その時輝いている人を
素直に称賛できるのも、
自分を高めるために
必要なことかもしれない。
(参考)最果てアーケード(小川洋子)
No.5816