愛しているものがあったら、
自由にしてあげなさい。
もし帰ってくればあなたのもの。
帰ってこなければ、
はじめからあなたのものではなかったのだ。
(調理場という戦場、斉須政雄)
愛した過去があると、
それまでの間に、既にいろいろなものを
注いできていることだろう。
それは、いつしか意識しないうちに、
愛するよりも愛されることを望み、
与えるよりも見返りを望み、
相手の成長よりも束縛を
望むようになっていることも多い。
恋愛関係、親子関係に限らず、
それは友人、雇用関係にも言えることだと思う。
体を束縛できたとしても、
心が離れていたら、不自然なことが生ずる。
もし、どうしても離したくないのなら、
離さないのではなく、
離れたとしても戻ってきたい環境を
つくっておくしかないと思う。
誰にも、離れた側、離した側の、
のいくつかの経験かあるだろう。
もしも、離すことによって、
死とか、何らかの危険に至る可能性があった場合には、
本当に、苦しいことだったと思う。
それでも、相手がそれを強烈に望むなら、どうするか。
納得されなくても、束縛し続けるか。
少しの傷程度で済めばいいなぁ、
と祈りつつ、自由にしてあげるか。
どちらを選ぶかは、こちら次第。
そして、誰もがそうであるように、
その相手も、自分の失敗を経験しなければ、
本当の意味で、愛も自由もわかり得ない、
というのも真理。